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日本のファーストレディから世界へのメッセージ

公開日: : 最終更新日:2014/10/06 ガール・パワー

9月25日、ニューヨークのフォード財団で、安倍昭恵総理夫人が防潮堤についてお話なさいました。
The High-Level Symposium on Coastal Resilience, on Thursday, September 25th at the Ford Foundation. (http://www.partnerships.org/…/high-level-symposium-on-coas…/)

昭恵さんのお声かけで昨年から私(池内)たちは東北を何度も訪ね、ときには娘も連れて伺い、防潮堤建設予定地を視察し説明を受け、シンポジウムを開き、現地イベントにも参加し、海の日には気仙沼大島で手話ダンスを踊りーーーそのうちに計画通りに建設がはじまった防潮堤もあります、防潮堤に使うコンクリートのための工場が建設された地域もあります。
「東北の海」は東北の問題ではなく日本全体の問題ですし、「海」は日本だけでなく世界につながるものです。

日本語と英語を掲載します。
動画

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ご紹介、ありがとうございました。ジェイニー、アイリーン。あれは、5月26日のことでした。お二人が東京に来て、私を訪ねてくれました。今日の機会に、導いてくださいました。ご覧ください。ほんとうに、こうしてやって来ました!!

これから私の、短い話を聞いてください。日本語でも、私はあまり速く話しません。英語ですと、もっとゆっくりになって、きっと多くはお話できないと思います。

実はそんなに、たくさんお話する必要はありません。日本が抱えている問題のうち、今日はひとつだけ、お伝えしようと思っているからです。そして皆様のお知恵を、ぜひ頂きたいと思っています。

気仙沼というところが、日本の東北地方にあります。いくつもの歌に歌われる、風光明媚なところです。新鮮な魚介、海の幸に恵まれています。

あるとき、その海の幸は、山から流れてくる養分に依存していることに気づいた人たちが現れます。森を育てない限り、海の水を豊かにできないこと、美味しいカキは育たないことに気がついたその人たちは、進んで陸(おか)に上がり、森に木を植える運動を始めました。

NGOをつくり、それを「WDS」、「森は海の恋人(Woods, the darling of the sea)」と名づけます。気仙沼が生んだ歌人、熊谷龍子(りゅうこ)という人の歌から、その名前がつきました。

歌を、オリジナルの日本語で読んでみましょう。独特の韻律を聞いて下さい。「森は海を、海は森を恋いながら、悠久よりの、愛紡ぎゆく」――The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest、という意味なのです。

2011年3月11日、そこへやってきたのが、あの恐ろしい津波でした。気仙沼は、最も甚大な打撃を被ります。そしていま、高くて頑丈な防潮堤が、海と、陸とを切り離すかのように、海岸沿いに張り巡らされようとしています。

このままでは海に流れ込む伏流水が断たれ、海にとって大切な滋養の源である森とのつながりが細ってしまうと、WDSの人たちは真剣に憂慮しています。

そうです。本日お話しするのは、防潮堤のことです。

私の国、日本ではいま、巨大な津波に襲われた地方で、防潮堤を建てる計画が進んでいます。ところによって、48フィート以上(14.7メートル)という、とても高い防潮堤ができようとしています。5階建てのビルに相当する高さです。

壁が覆う沿岸の長さを合計すると、ニューヨークとワシントンD.C.の直線距離より長い、230マイルに達します。税金から投じる国費は、80億ドルに上るといわれています。

私は、これに、アクティビストとして反対を叫んでいるのではありません。何かの主義や、強い主張があって、反対しているのでもありません。

もう決まったことなのだからと、一律には進めないでください、地域の特性に応じた、もう少し柔軟なやり方ができないでしょうかと、そう言っています。

あの日、東日本を襲った巨大な地震は、大きな津波を起こして、たくさんの命を奪いました。亡くなった方の数は、今年の8月8日現在、1万5889人に達します。この中には、米国から来て、小学生たちに英語を教えていた、いわゆるJETの若者、2人の命も含まれています。いまだに行方がわからない人の数は、2609人を数えます。

それは辛い、ほんとうに辛い体験でした。皆様がた米国や、世界中の方々が、あの時差し伸べてくださったご支援くらい、私たちにとって嬉しく、心を温めてくれたものはありませんでした。

あの時私は、東京で、地下鉄に乗っていました。止まってしまった電車を下りて、家まで、かなりの道のりを歩いて帰りました。でも、それだけです。被害らしい被害など、ありませんでした。

そんな私に、被災者の悲しみや、辛さはわかりません。わかると言ったら、それは不正直だと思います。ですからもう二度と再び、波に飲まれるような惨事を繰り返してはならないと、被災地住民が思われるそのお気持ちを、私たちは尊重すべきなのだと思います。それに対して、私たちは何ができるのか、考え続けていくことが大切なのだと思います。

ですけれど、高い壁を建て、海岸線を覆い尽くす選択をすることは、未来の世代に対して、ほんとうの意味で、正しい責任を果たすことになるのでしょうか。

防潮堤は、たとえどんなものでも、民主主義的手続きを経て、住民の代表たちが議会で承認しない限り、建ちません。

そうなのだとしても、私達の民主主義は、十分に冷静な判断を保証する仕組みでしょうか。恐ろしい、千年に一度、あるかないかの自然災害が起きたあと、子どもたち、孫たちの世代のため何を本当に残してやるべきかを決めることは、私達の民主主義にとって、それほど容易なことではないのだと思います。

民主主義的財政には、必ず事業の執行に期限があります。私の国の場合、自然災害に対する復旧工事は、ファストトラックで、できる仕組みになっています。それにも期限があって、2016年3月の末、ちょうど津波から5年経ったところで、その締め切りが来ることになっています。

だから、やるとなったら、一刻も早く、工事にかからないといけないと、はやる気持ちが生まれます。そういう事情もあるのです。

私が見る限り、防潮堤にはいくつかの深刻な問題があります。

高い防潮堤があると、たしかに、安心だという心理を生むかもしれません。

言い知れない不安を経験した人たちにとって、この安心という要素は、とても大切なものなのだろうと思います。

半面、いつも海を見ることで、知らず知らず身につく海の表情を読み取る習慣は、人々の感覚を研ぎ澄ますうえで大切なのだという人がいます。

海を見えなくしてしまう防潮堤は、皮肉なことに、むしろ住民に油断をもたせてしまうかもしれません。

事実、今回の事例をみると、高い防潮堤があった地域の住民から、逃げ遅れて亡くなった人がたくさん出ています。

そして津波に対するベストの対応は、マタイ福音書第24章が述べているように、「山に遁れよ。屋の上に居る者はその家の物を取り出さんとして下るな。畑にをる者は上衣を取らんとして還るな」なのです。

海を見えなくすることは、危機に備える感覚を鈍らせてしまうのではないか。これが、問題の第一点目です。

防潮堤は、コンクリートでできています。コンクリートの耐用年数は、多く見積もって60年です。

ところが備える対象の津波は、何百年に一度という規模のものなのですから、ひ孫の、そのまたひ孫の世代まで、補修のため、おカネを注(つ)ぎ込み続けていかなくてはなりません。一度建てると、そういうことになります。負担するのは、地元の自治体です。

そのうえ、今度の津波を経て、海岸部の住宅は、丘の上に移転することになりました。壁が守るはずの海沿いに、住民はあまりいなくなります。無人の土地を守る防潮堤は、誰が補修するのでしょうか。

つまり、防潮堤のライフタイム・コストを、どう賄うのかという問題もあります。

それからもちろん、海が見えなくなる高い壁で海岸を覆ってしまうことは、景観にとって大きなマイナスで、観光の振興にもよい影響を与えません。

こうした、ためらい、逡巡が、少なくない人の胸にわだかまっています。

いつしか、急いでつくろうとする人も、少し待ってほしいという人も、どちらも、どこまでも善意にもとづき、それぞれの立場で良かれと思って活動しているのに、両者の間に、もうひとつ、心の壁ができてしまいます。

そういう事態になるくらい、悲しいことはありません。防潮堤という壁が、文字通り、人々を分かつものになってしまうなんて、思うにつけ、いてもたってもいられない気持ちになります。

森と、海と、人と。それぞれが、それぞれを慈しみあって、豊かにしあっていく共存の道を、私は探っていきたいと思っています。

海とは時として、恐ろしい津波を起こすのだとしても、森を海の恋人とし続けていくため、自然と人とが調和のなかに生きていくために、何がいい解決策なのか。考え続けていきたいと思っています。

皆様の、お知恵をお貸しください。ありがとうございました。
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Thank you for your kind introduction. Jainey, Irene, it was May 26 when both of you came to Tokyo and see me. You have walked me to this event, today, and look, it is real that I have made it.

Now, my speech is brief. Even in Japanese, I do not speak so fast. If in English, I speak even more slowly, and I know I will not speak much.

Actually, I do not have to speak a lot. Among the many problems Japan faces, there is only one I am telling you about

In the North East of Japan, there is a port city called Kesen-numa. Its narrow inlet and lots of hills so scenic, Kesen-numa has given births to a great number of poems and songs. Little wonder, its sea food is always fresh and rich in stock.

But the fishes and shellfishes, fresh and tasty may they be, are always dependent upon the land, or more precisely, the nourishment flowing downstream into the inlet from the mountain forests. Without fostering the woods in the mountains, the water in the inlet cannot get rich, and cannot grow its famous oysters. In Kesen-numa at one point there emerged a group of oyster farmers who take the sea-mountain interplay seriously. So much so, they chose to get on shore, and began planting trees in the mountains.

Thus created is an NGO, named WDS, that is for Woods, the Darling of the Sea. The name is based on a short, traditional poem, a female poet from Kesen-numa sang.

Bear with me reading the poem in its original Japanese so you can sense its distinct rhythm. 「森は海を、海は森を恋いながら、悠久よりの、愛紡ぎゆく」――The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest, it means.

Then came that momentous day of March 11, 2011. The horrendous tsunami hit the entire region, and Kesen-numa was among the hardest hit. Now, three and a half years later, there is an ongoing attempt to build seawalls, tall and strong, all along the coastal line, as if to separate the sea from the land.

People with the WDS are worried, very much worried, for if the plan should go unchecked, it may well cut the subsoil water flow, and separate the sea from its source of nourishment that is the woods.

Yes, I am talking today about the seawalls.

In my country, Japan, a plan is being proceeded to build seawalls in the tsunami stricken region. Some could reach 48 feet tall, as tall as a five story building.

The total length of the seawalls planned amounts to two hundred and thirty miles, longer than the distance between New York and Washington, D.C. To do that, it is said, could cost 8 billion dollars from the taxpayers’ money.

I am not an activist, opposed to this plan. I have neither a cause nor a strong political view to push opposing the plan.

I say, however, please do not proceed, even if it is already decided, a policy that is like one-size-fits-all. I am asking if we could not adjust our plan to make it more flexible, reflecting the differences from region to region.

That day, the big earthquake that hit the north eastern part of Japan caused a huge tsunami, and many lives were lost as a result. As of August 8, this year, the death toll amounted to fifteen thousand, eight hundred eighty nine, including the two Americans who were JET English teachers at local primary schools. The number of those still unaccounted for is twenty six hundred and nine.

It was a sad, and painful experience. Nothing touched and warmed our hearts more than the help extended from those of you in the States and from across the world.

When the quake came, I was on a subway train. I had to walk a long way home, for the subway system was put into halt. But that was it, no substantial damage done.

Such was how I spent the day, I cannot share the pain and sorrow of the victims. Should I say yes, I share them, I would simply be dishonest. So I am of a view that we must pay respect to the victims who are determined never ever to repeat such calamities that would throw them into tidal waves. I think it important for us to always think what we can do to those people, and how we can console their wounded souls.

Still, I should ask, to build high seawalls and let them shield the coast line is really, really the just way for us to take our responsibility for our future generations?

Not one sea wall, however small, can be built unless the representatives of the people in the region have endorsed the plan through democratic processes.

That much may be self-evident. But, is our democracy up to the task? I am asking if the democracy as we know it can function so that we can choose the right option by making a balanced decision. After all, it was a horrendous natural disaster, something that can happen only once in a thousand years or so. With that memory still so vivid and graphic among us, it is not such an easy job for our democracy to decide on what really we should build and leave for our children’s and our grandchildren’s generations.

Under democratic fiscal system, public works have due dates. In my country, if it is a restoration work in the aftermath of a natural disaster, it is to be put on a fast track to make sure its early completion. For the works related to the damage done by the tsunami, the fast track will be terminated by the end of March, 2016, five years after the disaster.

That is one reason why people in favour of building sea walls are in a rush. They feel that it is very much an urgent business, and that they must start working on the project now, not later.

As I see it, though, sea walls will come with a number of serious problems.

A tall seawall may indeed make you feel that you are safer with it.

To feel safe and protected is vitally important especially for the people who have undergone insecurity of an indescribable kind.

Yet on the other hand, there are some who say that you must be able to see the sea surface all the time, so you can somehow develop a habit to read into any changes of the sea, and that the kind of sense you need to do so you can grow only by looking at the sea.

Most ironically, such seawalls as could make the sea invisible might lead the residents to be rather careless.

Indeed, on that day of March 11, 2011, exactly in the area relatively tall seawalls had been put in place, not a small number of people lost their lives. They did not flee fast enough.

Just as Matthew in the New Testament says, the best way to respond to tsunami is to let them flee to the mountains, let no one on the roof of his house go down to take anything out of the house, and let no one in the field go back to get his cloak.

To make the sea invisible might make our sense, the sense to develop our preparedness, less acute. That is problem number one.

Seawalls are made of concrete, which will not last more than sixty years.

Yet we are talking about something that could occur only once in hundreds of years. To keep the seawalls effective for the hundreds of years to come, our grandchildren’s and our great grandchildren’s generations will have to keep spending money to keep them in good shape. The responsibility will fall on the region, its government and people.

Moreover, after 311, those who had their houses at the seaside are moving to the hilltops. The coast, which is supposed to be protected by the seawalls, will have fewer and fewer residents. Who will maintain those seawalls that protect uninhabited areas?

In sum, there is a problem as to how we should cover the life-time cost of the seawalls.

And needless to say to cover the coastline with tall seawalls that make the sea invisible should be a huge loss for scenery. It is going to give no good effect for the promotion of tourism.

Such are the reservations and hesitation not a small number of people still have in their minds.

Over time, a wall has emerged. That is the wall dividing one group of people from the other. One is backing speedy construction of the seawalls, and the other is requesting for more time. They are all motivated purely by good intentions. Theirs are all well-meant actions to do good for their own regions. And yet, a wall is dividing one heart from the other.

Nothing can be more saddening than those victims getting divided like that. Seawalls turning into a real wall that divides people — the more I think about it, the less I can stay disinterested.

Woods, the sea, and people… How can we let them all be affectionate to each other? How can we let them all enrich each other? And how can we all live happily together? There must be a path leading to those goals, and I would like to seek that path.

Sometimes the sea sends us horrendous tsunami. Still, we must come up with a good solution to keep the woods in love with the sea, and to make us humans live in harmony with the nature. I would like to keep thinking about it.

Please give us your wisdom and ideas. Thank you very much.

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