喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます
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今年、夫の父と母を見送りました。
海上保安庁に勤務していた父は、口数少なく静かに日々を過ごしあらゆることに辛抱強く、彼が癌だと気づいたときにはすでに末期でした。
痴呆が表れていた義母を在宅で義父が看病し、自身の病に気づいたときも、自宅で過ごしたいと申しましたが医者の許可がでるわけもなくーーせめて、仲の良い義父と義母を同じ場で過ごすことはできないかと病院施設を探しましたが、大阪では3ヶ月待ち、東京でも2ヶ月待たなければ入院入所できないとのこと。友人を頼って宮城の病院施設に入ることができたのはありがたいことでした。
宮城の病院では、できるかぎり義父の希望を叶えるよう努めてくださり、食事の内容や生活面でもさまざま細やかな気配りをいただきました。病院に併設された施設から、車椅子に乗せてもらって義母は義父の病室へいつも連れて行っていただけました。大阪で入院していたときには「エレベーターに閉じ込められた」「物を盗まれた」と妄想的になっていた義母も宮城では落ち着き、弱っていく義父を見守ることができました。
義父が亡くなったことを、義母は認めることができなかったでしょう。義母が混乱しないためにと葬儀への出席もかないませんでしたが、四十九日を迎える頃には義父の死をぼんやりと受けとめることもできていたようです。
義母が寝たきりになっても私たちは何もしてあげることができませんでした。やせ細った足をさすり、痛いところはないかだるいところはないかと、背中や膝、かかとをさすってあげることしかできません。義母に話しかけてあげることしかできません。
社会人となった娘は今香港で仕事をしているのよと伝えると、義母はぱあっと笑顔になり、「それはよかった、人様のために働くことができるのはよかった。これからは世界で働くことが大切ですね、ありがたいことです。良い子を育ててくれてありがとう」と繰り返し伝えてくれました。娘を可愛がってくれたことに私たちは感謝しています。義母が娘の十三参りに作ってくださったお着物は今も大切にしています。
義父を見送ったときは雪が降っており、義母のときは暑い夏の盛りでした。
私たちは、一日一日死に近づいている毎日を過ごしています。先に逝った彼らのためにも後悔のない日々を生きなければなりません。
お父様、お母様ありがとうございました。私たちは人様のためにできることを行い、人様に迷惑をかけないよう生きてまいります。
本日は大晦日、今年最後のご相談者様がいらっしゃいます。真摯に行わせていただきます。
皆様には本年も大変お世話になりましたにもかかわりませず、喪中につき年末年始のご挨拶を欠礼いたしますことお詫び申し上げます。
池内ひろ美
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